【記事】社会のため、そして夢のための活動

2021/08/25(水) ライター記事

あしたタウンライター記事 #8

 

社会のため、そして夢のための活動

―並木で清掃スタッフとして働く西山易夫さん-

 

並木で清掃スタッフとして働く西山易夫さんは、出勤前に決まってラボに顔を出してくれる言わば「常連さん」です。西山さんは、私のような大学生スタッフにも、気さくに、陽気に、時に英語で話しかけてくれます。ラボでの活動にもご興味を持ってくださり、先日は子ども向けの英語の読み聞かせイベントにも足を運んでくださいました。そんな西山さんの素敵なお人柄に惹かれた私は、今回たくさんお話を伺ってきました。

 

写真:西山 易夫さん

1947年、佐賀県で生まれた西山さんは、多久市で育ちました。小学校の時に英語に興味をもち、中学生の時にはNHKの英会話の番組を聴いて勉強したそうです。高校卒業を機に上京した西山さんは、働きながら大学へ通い、在学中に結婚。結婚を機会に大学を中退し、貿易商社で営業として働き始めました。「その時の上司がね、アンテナを高くするように、といつも言っていたんですよ。そのおかげで、僕も社会の色々なことに興味を持つようになりました。」

 

営業課長だった49歳の時、西山さんは会社を辞め、地元である多久市にUターンします。きっかけは、生まれつき知的障がいをもつご長男が背骨を折る怪我をしたことでした。後遺症が残る可能性を医師から指摘され、自分が介護をしよう、と、落ち着いたら奥さんと3人のお子様を呼ぶつもりで、単身地元の多久市に戻り、介護の勉強を始めました。

幸いご長男に後遺症はなく、2年でヘルパーの資格をとった後、西山さんは横浜へ戻りました。それからは、病院での介護職として約4年間働き、介護福祉士の資格を取った後、タクシーの運転手として13年間働きます。

「実はね、運転手さんのあの帽子に憧れて。それがタクシー運転手を選んだきっかけなんです。」

ちょっと照れ臭そうに西山さんは教えてくれました。その後は福祉サービス施設での勤務を経て、現在のビルサービス会社勤務に至ります。

 

西山さんは、一冊の大きなファイルを見せてくれました。その中には、今までの西山さんの社会活動や学びの記録、備忘録がぎっしり。それらは全て手書きです。活動的で几帳面な西山さんのお人柄が伺えます。

多久市に掛け合って実現した、夢の「のど自慢大会」開催の新聞記事や、横浜市にLRTを走らせるべく集めたアンケートの結果表、JR唐津線の各駅のトイレの美化状況について調査し佐賀県に提出した提案書、母校に通う小学生の夢に対して一人一人へ送った手書きのエール。

「語学トレーニング表」には、英語をはじめとする5ヶ国語の挨拶の言葉が書いてありました。「2020年の東京オリンピック・パラリンピックで語学ボランティアをしようというのが、ここ数年の僕の目標でした。研修のためのスケジュールの都合で、今は一旦区切りをつけていますが。」

 

また、2011年の東日本大震災発生時には、ボランティアとして現地に向かい、その後も多久市の学生や保護者、ご家族とも一緒に応援に行かれたそうです。何枚もの手書きの記録や、目を輝かせて語る姿から、社会に関心を持ち、地域を愛し、そしてそれをより良いものにしていきたいという思いがひしひしと感じられました。

 

今回の取材のためにと西山さんから頂戴したお手紙の結びには、このように書かれていました。

 

『これからの人生(73才〜)の中で今でも持っています「夢」実現のため子供たち・青年・同年代の“若手?“そして人生の先輩の方々と幅広くコミニケーションが出来ましたら、勉強の幅も広げていけたらなぁ〜と思っています。明るく・楽しく・元気よく、をモットーに過ごしております。』

 

今回、西山さんを取材し、その好奇心をもち、常に挑戦し続ける姿に胸を打たれました。私もこんな風に、幾つになっても自分と社会のための挑戦を続ける、パワフルな大人になりたいと思いました。

 

 

ライター:須田采李

記事一覧へ >